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konami 文集
加入时间 : 2007-04-19
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6月2日全球同步放映《邓丽君物语》

スペシャルドラマ『テレサ・テン物語 私の家は山の向こう』が、世界30カ国と1地域で、

6月2日に同日放送されることが決定しました!

以故乡的台湾为首,香港,新加坡等Teresa活跃的东南亚各国,澳大利亚与日本大体上同时被播放,欧洲整个地区、中东和近东的一部分,

大体上同时被广播,欧洲整个地区和中东和近东的一部分,更加上美国、

加拿大,各自的最佳时段一起被播放。这在日本的电视历史上是第一次的尝试。

请与全世界的人们一起享受「邓丽君物语」。

在日本的广播时间,是6月2日(星期六)夜9点。

2007-05-29 22:33:57 时事与文摘  (阅读:2420) (评论:18)
所有评论 ---  共 2 页 ---  1 2    
1.  清友  2007-05-30 00:10:58
要看

要看、邓丽君大好き。

しかし、日本のテレビドラマで、複雑な気持ち、

2.  konami  2007-05-30 01:53:23
なんで?どういうこと?

3.  清友  2007-05-30 03:30:54
邓丽君は中国人ですから

 邓丽君は中国人ですから、中国の、中華民族のドラマを見たいなあ~。

 もしかしたら、台湾とか香港とかのドラマにも出た?私知らないだけ?

残念と思う。

 でも、邓丽君は東南アジアの星だから、日本は宣伝してくれて、ありがとう。

4.  公子  2007-05-30 03:41:08
看来清友是小妹妹,不知道邓丽君是在日本开始唱红的

连续2届唱片大奖,当然是日文歌曲。她死的时候,是她的萧条期,因为找不到好的新歌。而她的新歌很多都是从日文歌曲来的,一直为她写歌的人,都老了。

5.  薛生  2007-05-30 04:39:57
好像是连续三次获得有线大奖

6.  niuniu00  2007-05-30 04:45:51
我的家在山的那一边

7.  小巷  2007-05-30 04:56:28
zt テレサ・テン13年目の「真実」 天安門事件が笑顔を奪った

http://www.j-cast.com/2007/05/08007382.html

2007年5月8日は「アジアの歌姫」と親しまれたテレサ・テンの13年回忌になる。テレサをずっと取材してきたノンフィクションライターの有田芳生氏によると、07年はテレサに関連する催しが「10回忌以上」に多いのだという。中国の桂林にテレサ・テン公園が完成、かつて排斥されたテレサの歌も、いまや中国では自由に聴くことが出来る、そんな時代になった。

07年6月2日にはテレビ朝日系列で「スペシャルドラマ、テレサ・テン物語」が放送される予定だ。原作は有田氏の「私の家は山の向こう テレサ・テン10年目の真実」である。07年3月に文春文庫で発売された。日生劇場では、07年5月4日から22日まで、テレサをモデルにした演劇「何日君再来(いつのひかきみかえる)」を公演、これは大阪公演へと続く。また、「テレサ・テントリビュートコンサート」が東京、神奈川、兵庫で開かれ、アグネス・チャン、マルシアらが参加している。

テレサ・テン13年目の真実の一端を、有田氏に書いてもらった。

「事件を思い出すと歌えないのです」

ノンフィクションライター 有田芳生

テレサ・テンが最後の住処としたパリのマンションで、ベッドの枕元に貼られていた写真だ

テレサ・テンが最後の住処としたパリのマンションで、ベッドの枕元に貼られていた写真だ

テレサ・テンがタイのチェンマイで急死したのは、1995年5月8日。ニューヨークタイムズでも「アジアの歌姫」の突然の訃報が掲載された。日本はオウム事件で騒然としているときのことだ。麻原彰晃が逮捕されたのは、それから8日後のことである。わたしはカルト問題を取材していたことで情況に巻き込まれていた。それでも台北で行われた葬儀に参列したのは、テレサの人生を書くことを本人と約束していたからだ。テレサと最後に会った日本人でもあった。葬儀には台湾だけでなく中国大陸や香港からもファンが集まり、その数は3万人を超えた。遺影は微笑みを浮かべている。素顔のテレサがそこにいた。

わたしがテレサに最初に会ったのは92年7月。フジテレビの地下にある控室でのことだった。番組収録を終えた彼女はこぼれるような笑顔で現れ、ピースサインをすると握手をしてきた。写真で見ていたテレサよりもふくよかさが増しているようだった。そんな視線を感じたからだろう。「ダイエットしているんですけどね」と明るく笑うのだった。パリでの暮らしぶりを語る彼女はとても楽しそうだった。ところが質問で3年前に北京で起きた天安門事件に触れたとき、小さな変化が起きた。

快活に語っていたテレサの表情が急に曇ったのだ。笑顔から哀しみへ。まぶたには涙の粒が光っていた。

「事件を思い出すと歌えないんです……」

沈んだ小さな声でそう語った。一昨年パリを再訪したとき、事件当時にパリへ亡命した女性から貴重な映像を手に入れた。「天安門事件3周年」にトロカデロ広場で行われた抗議集会の私的記録だ。そこに喪服を着たテレサの姿があった。司会にうながされてマイクを持った彼女は右手を振り上げ「圧制に妥協するな」と叫んでいる。天安門の学生たちに流行した「血染的風采」(血に染められた姿)を参加者と歌うとき、何度も目頭をぬぐっていた。

テレサ・テンの笑顔とたおやかさを奪ったもの――それが天安門事件だった。最後の来日となった94年10月、仙台にある県民会館の控室前で彼女はわたしにこう言った。

「これからわたしの人生のテーマは中国と闘うことです」

体調が最悪だったこともあるだろう。か細い声だった。日本では「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」「つぐない」などで知られる歌手の内奥には、不義を許せないという強い信念が燃えたぎっていたのだ。天安門事件の直前に香港で行われた民主化支援集会。そこに駆けつけ生涯で一度だけ人前で歌った「私の家は山の向こう」。

かつて「精神汚染」として排斥されたテレサの曲は、「山の向こう」=中国ではいまや自由に聴くことができる。桂林ではテレサ・テン公園も完成した。北京ではファンクラブが公然と活動をしている。テレサの曲を歌う女性歌手も現れた。テレサが存命ならあの明るい笑顔でピースサインをしながらこう言うだろう。

「アリタさん、わたしの闘いはまだ続きますよ」

有田芳生(ありた・よしふ)1952年京都生まれ。フリーランスのジャーナリスト。日本テレビ系の「ザ・ワイド」に出演。著書には『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文藝春秋)、『「コメント力」を鍛える』(NHK生活者新書)など。

8.  niuniu00  2007-05-30 04:59:34
再来一段大陆的禁歌---一首很好的歌

9.  小巷  2007-05-30 05:00:30
zt テレサの命日を大阪で過ごす

テレサの命日を大阪で過ごす

 5 月8日(火)昨夜はホテルに戻り、京橋あたりに出没するかとおもったがガマン。駅前には美味しい立ち飲み屋があるのだ。冷蔵庫の缶ビールとウィスキーを飲みながらお笑い番組を見る。やはり関西は比較的だが笑いの質が違う。意外性から笑いが生じるならば、多くの「お笑い」はたんなるドタバタなのだ。今日はテレサ・テンの命日。今年は台湾に行くことができなかった。そのかわりでもないのだが、「Jキャストニュース」に彼女の想い出を書いた。その内容をネットで確認。午後からの講演準備。「AERA」原稿のために木村佳乃さんから取材したノートを読み返して加筆を続ける。昼前にチェックアウト。南海電車で貝塚へ。午後2時前から市役所主催の「憲法週間」講演会で話をした。内容はテレビがいかに人間を変えたかという実態と問題点を語ったのだが、やはり最初に憲法問題に触れることにした。歴史的事実としてGHQによる「押し付け」という単純な経過ではなかったこと、憲法研究会など、日本人の努力があったことなどを具体的に伝えた。そもそも憲法改正などにエネルギーを注ぐよりも、日本にはもっと切実な問題が山積している。戦争経験なき、あるいは戦争経験を身体を通して学ばない「オタク」政治家ではどうにもならないと思うのだ。昨夜、大阪の鶴橋で食事をしたとき、周りの人たちが「アベちゃんではなあ」「だってアベちゃんじゃあ仕方ないよ」などと何度も言っているので誰のことかと耳を澄ませば、安倍晋三総理のことだった。愛称としてではない。軽すぎるというのだ。

 首相として靖国神社に供え物をしたと報じられたが、問われても説明をしない。一国の最高責任者が自分の行動を説明しないというのだから驚く。特攻隊員だった松浦喜一さんの思いもそこにある。松浦さんによれば、戦後50年のときの政治家と60年とでは大きな違いがあるという。「戦場体験と九条護憲を考える 生き残った特攻隊員 八十三歳の遺書」(松浦アヤ子「長崎の原子爆弾 私の被爆体験記」も収録)は「編集室ふたりから」(電話03−3985−9454、ファクス03−3985−9434)で購入できる。送料ふくめて1000円だ。八十二歳のときの「遺書」は、朝日新聞の「天声人語」でも紹介された。現行憲法は城山三郎さんが語っていたように、戦争で亡くなった人たちの遺産なのだ。講演を終えたところでお土産をいただいた。泉州名物の「水茄子」だ。糠も入った箱詰めなのでとても重いけれど、うれしい。おまけにもっともジューシーな馬場茄子のもぎたても10本持ってきてくれた。講演が終ったらどこかで買おうと予定していたので助かる。関西空港へ。17時45分のJAL186便で東京。神戸プリンのお土産を持って銀座「はら田」。常連の家族、製薬会社の人たちと雑談。自宅に戻って日生劇場でテレサ・テンを演じているen-Rayのアルバム「何日君再来」を聴く。テレサの7曲と日生で歌った「川の流れの始まるところ」が収録されている。とても心に染みてくるお薦め。音楽関係者がよく口にする「いいな、いいな」という感想だ。

10.  小巷  2007-05-30 05:07:57
zt 口水song2 - 邓丽君特辑




平客说想用欢乐的方式纪念邓丽君去世十周年,飞猪深表赞同。

除去大家熟知的那些柔美但伤怀的歌声之外,邓丽君早年唱过很多风趣谐谑的歌曲。在上世纪七十年代末期,当中国人的听觉迅速从样板戏中解脱出来的时候,邓丽君的那些谐谑歌曲把人们吓坏了。

收音机在邓丽君歌曲的传播领域起到了至关重要的作用,“敌台”是特殊时代的专有名词,从“敌台”里听邓丽君既冒险又刺激,短波里的“敌台”让邓丽君的歌声最早传遍了中国大陆。

平客最爱的邓丽君歌曲是《夜来香》,飞猪说他喜欢听《小城故事》。

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